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盛田 幸妃



17
名前 (旧登録名94年−97年盛田幸希)
生年月日 1969年11月21日
経歴 函館有斗高−大洋−横浜−近鉄
入団年 87年1位
在籍年 88年−97年
背番号 88年−93年[15]:94年−97年[17]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
運命の糸
漁師だった父の盛田 武男は西カムチャッカ沖での出漁中に急性虫垂炎にかかり、命の危機に陥ったことがあった。そこに大洋漁業の漁船「地洋丸」が通り掛かって、武男は地洋丸の船内で緊急手術を受け無事一命を取りとめた。ホタテ漁の網元である盛田家では所有する漁船に代々「幸喜丸」という名前を付けており、69年に長男が生まれると幸妃(こうき)と名づけた。7歳のときに2歳年下の弟である幸司がリンパ肉腫で亡くなる不幸があった。

函館有斗高
8歳のときに少年野球チームの「鹿部クラップーズ」に入って本格的に野球を始める。鹿部中学では2年からエースになって3年時には北海道大会で準優勝に輝いた。進学時には函館有斗高の特待枠の面接を受けたが、盛田が短ラン、ボンタン、ヘビ革の靴とベルトにチェーンというスタイルで面接の望んだこともあってか不合格になり、受験を受けて函館有斗高に進学した。

甲子園
函館有斗高では1年の夏から甲子園に出場して沖縄水産戦で2.2回で3奪三振を記録したが4安打、2四死球で3点を失った。その後も2年の春、3年の夏と3度の甲子園出場。エースとして迎えた3年の夏では1回戦で再び沖縄水産と対戦して7奪三振を記録するなど2対1とリードしていたが、8回に逆転を許して雪辱はならなかった。

大洋入団
87年のドラフト会議で長島 一茂のハズレ1位として大洋から指名を受けて入団。盛田は入団時に「父は大洋漁業の船に助けてもらった。今度は僕が大洋を助けられるような活躍をしたい」と語った。

高卒1年目から1軍も
ルーキーイヤーには5月21日の中日戦で0対4とリードされた迎えた7回表に早くも初登板のマウンドに上がったが最初の打者となった落合の雰囲気にガチガチになったという盛田は落合をストレートの四球で歩かせてしまうと、続く宇野にツーランを運ばれていきなり2失点。8回表も続投したが中尾に場外ソロを打たれて降板。9月16日の巨人戦では初先発を任されたが初回に先頭の鴻野を四球で歩かせてしまうと、続く勝呂も四球で歩かせてわずか3分で降板を告げられた。結局同年は3試合登板で防御率12.46に終わった。

小谷コーチ
大洋入団後は「遊ぶのが楽しくて仕方がなかった」という盛田は練習はそこそこで毎晩飲み歩くような生活を続けた。91年のオフに盛田の育った環境や性格を良く理解して、その上での指導を行ってくれたという小谷コーチに巡りあった事もあって始めて真剣に練習したという盛田は背筋力が170キロから260キロに上昇するなど劇的な肉体改造に成功した。

連敗止める
92年が開幕するとチームはいきなり4連敗を記録したが、4月9日の広島戦で先発した盛田が6回を1安打、4四球で1失点に抑えると、6回裏に盛田の代打宮里が2点タイムリーを放つなど一挙5得点を上げて逆転。7回表からの3イニングは佐々木が抑えて連敗をストップさせた。翌日からチームは再び4連敗を喫したが、4月16日の阪神戦で盛田が4安打、3四球で1失点に抑える素晴らしいピッチングを見せて連敗を止めた。須藤監督は「チームの給料は全部、盛田にやれ」と絶賛した。

ダブルストッパー
6月から中継ぎに転向してチームの看板となる佐々木とのダブルストッパーを形成、8月には13試合に登板して防御率1.20、試合展開によっては6回から8回を投げるなど3イニングを何度もこなして、リリーフで月間30イニングを投げて月間MVPに選出された。月間5勝も記録して最多勝争いにも狙える位置につけた。最終的には52試合に登板して14勝6敗2セーブ、規定投球回にも到達して防御率2.05で最優秀防御率に輝いた。

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93年、キャンプ前の自主トレでテニス中に靭帯を断裂し、シーズンを棒に振った。

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95年にはリーグトップの57試合に登板し、防御率1.97という素晴らしい成績を残した。

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96年に監督に就任した大矢 明彦は大改革の一環として、12球団ナンバーワンの中継ぎ投手だった盛田を先発に転向させると発表した。盛田は4月19日の中日戦で6.1回を2失点に抑えて4年ぶりの先発勝利を記録するなど4月は1勝2敗ながら防御率2.86とまずまずのスタートを切った。

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96年6月4日のヤクルト戦、横浜ベイスターズは前日まで本拠地横浜スタジアム10連敗という記録を更新中だったが、先発した盛田は8回を投げ、8安打を打たれながら無四球、10奪三振で2失点に抑え連敗をストップさせた。

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96年7月13日巨人戦で1対1で迎えた3回表杉山の頭部に死球を投げてしまい危険球退場。6回表に五十嵐も吉原に頭部に死球を投げてしまい危険球退場。あるスポーツ新聞は「ルールにエースが殺される」

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97年も4月4日の中日戦で開幕投手を務めて6回3失点とまずまずの結果を残したが、続く阪神戦では3回途中で5失点でKOされるなど4月終わって0勝4敗、防御率7.66
信頼していた小谷コーチが先発転向の前年に球団を離れた事もあって
この頃には右脚に違和感も感じるようになっていた。

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近鉄に移籍した盛田は珍しく1月に自主トレを行っていたこともあってか開幕から好スタートを切って6月が終わる頃には5勝1敗1セーブという好成績ををあげていた。だがそれと同時に5月ごろから体が小刻みに痙攣を始めていた。7月中旬には激しい痙攣に襲われ、古傷の右足首靭帯が再発したのかと思い、検査を受けたが異常無しだった。ところが8月になると痙攣どころか体が麻痺してきた。そこで改めて検査したところ直径5センチの脳腫瘍が発見された。8月28日に入院し、9月10日に12時間以上の手術を受け腫瘍を摘出した。

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手術の翌日に右手、右脚が麻痺して寝たきりの状態になるとパニックになり、妻に「死ねる薬をくれ」と伝えるなど大きなショックを受けた。数日間は精神的に不安定な時期が続いたが術後症状の脳のむくみが引いてくると症状も改善して、9月21日からはリハビリルームに通うまでに回復。そこで自分より症状が重い人が一生懸命に頑張っている姿に刺激を受けた盛田は前向きな気持ちを取り戻して積極的にリハビリを行って、横浜対西武の日本シリーズ真っ最中の10月20日に退院した。

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翌99年になるとなかなかはっきりとしたリハビリの効果が出なかった事もあって集中力が落ち始めたが、近鉄の佐々木監督から「来月のキャンプに合流できるか?」という電話があり、盛田は「無理だと思います」と答えたが、それから野球への欲求が戻ってきたという盛田はリハビリメニューを復帰を意識したものに変更して懸命にリハビリに取り組んだ。

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4月13日にチームに合流すると一ヵ月後には投球練習に望んだが120キロ程度のストレートに留まった。その後にランニングを中心にしたメニューで下半身を鍛え直すと、6月下旬には130キロ台中盤まで球速が戻って手応えを掴んだ。8月26日にウエスタンリーグの中日戦で379日ぶりのマウンドに上がって2回を1安打に抑えて復帰登板を飾った。

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10月7日のシーズン最終戦で一軍登録を果たすと6回表に

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復帰後も右足首の麻痺は続いたため下半身を使ったピッチングが出来なかったが、上半身のひねりを生かして140キロ前後ストレートを投げ込んだ。一塁へのベースカバーには課題が残ったが盛田はシュートを連投することでサードゴロ、ショートゴロを量産してベースカバーの回数を減らすことで対処した。

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復活登板の翌00年は3試合登板で防御率18.00と結果は残せず、一旦は戦力外通告を受けたが大幅ダウンの年俸1600万円で契約を結んだ。

01年には乱戦となった6月13日のダイエー戦で8対8で迎えた5回裏の一死一、三塁で登板、井口を三振、小久保をショートゴロ途中軸を抑えて無失点で切り抜けた見せた。続く6回裏も三者凡退に抑えて試合を作ると、7回表に中村紀の200号などでイニング7得点と打線が爆発して盛田に1082日ぶりの白星が記録された。お立ち台に上がった盛田は「3年ぶり?だ いぶ昔のことなんで忘れました。これからも野球をやりたい。今はそれだけです」
この1勝もあって勢いに乗った近鉄は12日後に首位に躍り出ると、ダイエーとの激しい争いを制して逃げ切り12年ぶりの優勝を成し遂げた。

オールスターファン投票では新設された中継ぎ部門で34万3080票を集めて6年ぶりに選出、かつての地元ハマスタで行われた第2戦で7回に大歓声を浴びながらマウンドに上がって石井琢朗と対戦した。
第3戦でも清原と対戦して空振り三振に切って取った。

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02年10月6日オリックス戦、5年ぶりに先発のマウンドに立った盛田は元チームメイトの進藤を三振に取るとマウンドを降りた。345試合、47勝34敗29セーブの成績を残し盛田 幸妃は引退した。


初記録
初登板 88年5月21日中日戦
初勝利
初奪三振
初完投 92年4月16日阪神戦
初セーブ
記録達成日


88 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02
最優秀防御率 1回
オールスター 3回


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
88 大洋 3 0 0 0 0 0 4.1 6 3 4 0 3 1 0 6 6 12.46
90 大洋 7 0 0 0 0 0 19.0 21 7 10 1 11 2 0 17 17 8.05
91 大洋 26 0 0 1 1 0 43.0 49 10 15 3 37 0 0 27 24 5.02
92 大洋 52 1 0 14 6 2 131.2 100 9 51 6 80 4 0 37 30 2.05
93 横浜 22 0 0 3 2 3 43.2 57 7 18 4 30 1 0 35 31 6.39
94 横浜 46 0 0 8 4 16 72.2 56 4 19 5 59 1 0 22 20 2.48
95 横浜 57 0 0 8 4 5 73.0 65 4 27 8 60 2 0 25 16 1.97
96 横浜 28 1 0 5 9 0 107.2 126 13 32 7 77 4 0 70 65 5.43
97 横浜 32 0 0 1 7 2 59.1 74 8 19 3 39 3 1 41 35 5.31
98 近鉄 32 0 0 5 1 1 34.0 30 3 20 2 19 1 0 13 11 2.91
99 近鉄 1 0 0 0 0 0 0.1 0 0 1 0 1 0 0 0 0 0.00
00 近鉄 3 0 0 0 0 0 2.0 3 1 3 2 3 0 0 4 4 18.00
01 近鉄 34 0 0 2 0 0 21.2 25 3 11 5 14 0 1 18 17 7.06
02 近鉄 2 0 0 0 0 0 0.2 0 0 1 0 1 0 0 0 0 0.00
球団 9年 273 2 0 40 33 28 554.1 554 65 195 37 396 18 1 280 244 3.96
通算 14年 345 2 0 47 34 29 613.0 612 72 231 46 434 19 2 315 276 4.05


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
88 大洋 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
90 大洋 8 5 2 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .333
91 大洋 28 3 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .077
92 大洋 57 26 1 2 0 0 0 2 1 0 0 4 0 1 0 8 1 2 .000
93 横浜 22 9 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 4 1 1 .077
94 横浜 47 13 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 7 0 1 .143
95 横浜 57 7 2 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 1 0 3 0 0 .250
96 横浜 29 28 2 7 0 0 0 7 5 0 0 3 1 4 0 9 0 1 .111
97 横浜 34 9 0 1 0 0 0 1 1 0 0 1 0 0 0 3 0 0 .000
98 近鉄 32 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
99 近鉄 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
00 近鉄 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
01 近鉄 34 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
02 近鉄 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
球団 9年 285 100 7 15 0 0 0 15 8 0 0 11 1 6 0 36 2 5 .150
通算 14年 357 100 7 15 0 0 0 15 8 0 0 11 1 6 0 36 2 5 .150


  日本シリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
01 近鉄 1 0 0 0 0 0 1.0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00.
通算 1年 1 0 0 0 0 0 1.0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00


  オールスター投球成績
回数 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
通算 3回 4 0 0 0 0 0 4.2 3 0 0 0 7 0 0 2 1 1.93