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西 清孝



67
名前 にし きよたか
生年月日 1966年4月8日
経歴 東灘高−南海−ダイエー−広島−横浜
入団年 94年にテスト入団
在籍年 94年−99年
背番号 94年−99年[67]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
テスト入団
東灘高ではソフトボール部に入部したが廃部になったため公式野球部に入部。2年まではキャッチャーをやっていた。84年に阪急、阪神、南海の入団テストを受け、合格した南海にドラフト外で入団した。3年目の87年にオープン戦で好投して4月25日の近鉄戦で7回途中から初登板のマウンドに上がったが1.1回で2安打、2四球で2失点、5月3日のロッテ戦でも打ち込まれて同年はわずか2試合登板に留まってしまった。

最多勝
88年には練習生扱いとなってしまうと、90年にはウエスタンリーグで6月中盤までに8勝を上げていたが、6月下旬に広島にトレードされた。広島の二軍でも3勝を上げて、通算11勝でウエスタンリーグの最多勝に輝いた。

戦力外通告
93年10月22日の斉藤 明夫の引退試合となった横浜戦で登板したのが広島での最後のマウンドになった。戦力外通告を受けた西は両膝のケガもあって引退を考えていたが、広島時代にチームメイトだった銚子がベイスターズのコーチになることになり「テストを受けてみないか?」と誘ってきた。西は「これがダメだったら、野球のことはキレイに忘れよう」と決心してテストを受けた。すると打撃投手兼任という形でテストに合格した。

打撃投手
94年は選手登録はされたものの事実上は打撃投手として一年間を過ごした。だが西は時間を見つけては走り込み、一般的には打席に近い位置から投球する打撃投手という職にあって出来るだけマウンド近くから投球して再びマウンドに立つ日を待った。そして翌95年の4月2日にイースタンリーグの日本ハム戦で一年半ぶりのマウンドに上がった西は4回から3イニングを1安打無失点に抑える好投で見事復帰登板を飾った。同年に二軍のストッパーとして36試合に登板して防御率2.03という素晴らしい結果を残した。


96年には5月3日の中日戦で1対4とリードされた5回裏に2年半ぶりの一軍登板。2回を2安打無失点に抑えて移籍後初登板を飾ると、二日後の中日戦では3対4とリードされた3回途中からマウンドへ上がり、3回、4回と無失点で切り抜けると、5回表には西の初ヒットなどで逆転に成功してプロ初勝利のチャンスがやってきた。だが西は5回裏に同点に追いつかれると、6回裏には勝ち越しを許してプロ初敗戦を記録してしまった。

13年目の初勝利
97年の4月25日中日戦で同点の9回からマウンドに上がった西はパウエルとゴメスを打ちとってツーアウトを取ると、そこからヒットと四球で二死一、二塁のピンチを招いたが、中村武をショートゴロに打ち取ってピンチを切り抜けた。すると打線が9回裏に石井のスリーベースから無死満塁のチャンスを作り、満塁男の駒田は三振に倒れたが、西の代打井上がライトへ犠牲フライを打ってサヨナラ勝ち。この瞬間に西は13年目の初勝利を手にした。西は「こういう場面で使ってもらえるだけで嬉しい。今までいろいろあったし…」と涙を見せた。

気迫のワンバウンド
8月24日の巨人戦では2対2の同点で迎えた9回表のマウンドに上がり先頭の清原を三振に仕留めたが、続く広沢にセンター前に運ばれると、続く元木のサードゴロを名手進藤がまさかのトンネル。カスティーヨは敬遠で一死満塁となり代打の切り札吉村が告げられた。そして2−3と押し出しが頭によぎるカウントになったが、ここで谷繁が出したサインは練習でもほとんど投げていないカーブだった。西が覚悟を決めて投げたボールはワンバウンドになったが吉村がそれを空振りして三振。続く仁志をセンターフライに打ち取って絶対絶命のピンチを切り抜けた。すると9回裏に無死満塁から満塁男の駒田がサヨナラ犠牲フライを放って西にプロ入り2勝目が記録された。

契約更改
97年は58試合に登板し、防御率2.55と素晴らしい結果を残した。そして迎えた契約更改、「プロ入りして始めて、球団と話し合いらしい話し合いをした」という西は「新しい冷蔵庫を買いたい」とコメントした。なお西は5キロ離れた自宅からハマスタに自転車で通勤していたが、スクーターで通っていたローズとは駐輪場であいさつをかわすのが日課だったとか。

引退
99年限りで引退。通算で2勝を上げたが、その2勝がともにサヨナラ犠牲フライによってもたらされている。サヨナラ犠牲フライは01年までで143回しか記録されていない珍しい決まり手なのでかなりの珍記録と言えるかもしれない。ちなみに2勝ともサヨナラ試合だったため、西はウイニングボールを一つも持っていない。引退後は横浜、中日で打撃投手を勤めている。


初記録
初登板 87年4月25日近鉄戦
初勝利 97年4月25日中日戦
初奪三振 87年4月25日近鉄戦:村上から
初完投
初セーブ


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
87 南海 2 0 0 0 0 0 2.1 4 1 3 0 1 1 0 5 5 19.29
89 ダイエー 3 0 0 0 0 0 3.0 5 2 2 0 0 0 0 5 5 15.00
91 広島 1 0 0 0 0 0 1.0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0.00
93 広島 5 0 0 0 0 0 5.2 8 3 3 0 2 0 0 6 6 9.53
96 横浜 22 0 0 0 2 0 26.1 32 1 10 0 16 1 0 21 18 6.15
97 横浜 58 0 0 2 2 0 53.0 43 9 15 5 30 0 0 17 15 2.55
98 横浜 22 0 0 0 1 0 24.1 32 2 6 0 9 1 0 13 11 4.07
99 横浜 12 0 0 0 0 0 12.2 22 2 1 0 5 0 0 9 9 6.39
球団 4年 114 0 0 2 5 0 116.1 129 14 32 5 60 2 0 60 53 4.10
通算 8年 125 0 0 2 5 0 128.1 146 20 41 5 63 3 0 76 69 4.84


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
87 南海 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
89 ダイエー 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
91 広島 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
93 広島 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
96 横浜 23 3 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .333
97 横浜 58 2 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .500
98 横浜 22 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
99 横浜 13 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
球団 4年 116 5 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 .400
通算 8年 128 5 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 .400


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死球 三振 失点 自責 防御率
95 横浜 36 0 3 3 4 48.2 35 4 9 27 14 11 2.03
96 横浜 20 0 1 0 9 25.0 22 1 7 11 5 5 1.80
97 横浜 3 0 1 0 0 5.0 5 1 2 5 4 4 7.20
98 横浜 5 0 1 1 2 7.0 7 0 1 6 2 0 0.00
99 横浜 14 0 1 2 0 18.1 23 0 12 10 15 13 6.38
通算 5年 78 0 7 6 15 104.0 92 6 31 59 40 33 2.86
注:横浜時代の二軍成績のみ