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佐々木 主浩
22
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名前 |
ささき かづひろ |
| 生年月日 |
1968年2月22日 |
| 経歴 |
東北高校−東北福祉大−大洋−横浜−マリナーズ |
| 入団年 |
89年ドラフト1位 |
| 在籍年 |
90年−99年:04年−05年 |
| 背番号 |
90年−99年:04年−05年[22] |
| 投打 |
右投げ右打ち |
| 守備 |
投手 |
|
|
:2:
佐々木は「2」という数字に縁がある。佐々木が帝王切開で生まれたのが「2月22日2時22分」で、背番号は「22」、佐々木の長女玲奈ちゃんは「2時22分生まれ」。ベイスターズの球団事務所は横浜市中区本町「2丁目22」で入団会見が行なわれたのは12月22日だった。
:先発佐々木:
東北高時代には2年夏、3年の春、秋と3度の甲子園出場を果たした。通算10試合に登板した佐々木は9試合に完投し7勝3敗で防御率1.23という素晴らしい成績でチームを2度のベスト8に導いた。また3年夏にはホームランも放っている。
:フォーク:
東北福祉大に進学し3年生になった佐々木は、88年6月に開催された全日本大学選手権の準々決勝の関東学院戦に先発した。だがストレートを狙い打たれた佐々木は3回途中でKOされた。このままでは通用しないと考えた佐々木は決め球修得を決意する。そんな時に佐々木のワンバウンドするカーブを見た知人が「握力が強すぎて、ボールをひねりすぎている」と指摘した。この一言を聞いた伊藤監督はひらめいた「80キロを越す握力を生かす変化球は・・・」こうしてのちに佐々木の代名詞ともなるフォークボールは誕生した。
:無敗:
フォークを修得した佐々木だったが椎間板ヘルニアの影響で長いイニングが投げられないこともあり、ストッパーとしてマウンドに上がることが多かった。大学野球ではセーブが記録されないが、22試合に投げ11勝0敗、防御率0.39とけた違いの数字を残している。また先発した4年の春にはノーヒットノーランも記録している。
:プロ入り:
90年ドラフト会議で大洋はドラフトの最大の目玉である野茂 英雄を指名するが、野茂に史上最大の8球団が競合したため、大洋は当然のごとくクジを外した。そこで大洋は外れ1位に佐々木を指名、佐々木は当初はプロ入りを渋っていたが、結局ホエールズに入団した。
:プロ初登板:
初登板のマウンドは中日との開幕戦の延長11回裏、点差は5対5で打たれれば即サヨナラ負けという厳しい場面だった。先頭の宇野には四球を与えるが、落合を147キロの直球とフォークで三振に仕留めるなど、1回を投げて2奪三振無安打に抑えた。佐々木がマウンドを降りると雨が強くなり降雨コールドで試合終了、佐々木は初登板で試合の最後を締めたのだった。
:リリーフ:
初年度は7試合の先発を含む16試合に登板して2勝4敗2セーブで防御率は5.85とプロの壁にぶつかった。だが2年目に転機が訪れる。前年に21セーブを上げた遠藤が故障し、須藤監督は新ストッパーに佐々木を指名した。佐々木は自己最多の117イニングを投げて、6勝9敗17セーブ、防御率2.00と期待にこたえた。その後、年々数字を上げて行った佐々木はいつしか9回が近づくにつれ球場から相手ファンが消えていくほどの絶対的な存在になっていった。
:大魔神:
佐々木にピッタリの「大魔神」というニックネームは、93年に巨人打線を完全に抑えてマウンドに仁王立ちする佐々木をサンスポの巨人担当記者が「巨人にとっての魔の守護神」と書いたのが始まりで、その後「魔の守護神と書きつづけるうちに、面倒くさくなって魔神と省略しました」という理由で「魔神」に、そしていつからか「大魔神」と呼ばれるようになった。
:日本最速:
95年7月8日ヤクルト戦、延長10回に池山から三振を奪って佐々木はわずか383イニングで通算500奪三振を達成した。これはそれまで最速だった野茂の412.1イニングを大幅に短縮する日本新記録だった。
:奪三振ショー:
97年5月20日巨人戦、1点リードの8回表1死二塁で佐々木がマウンドに上がった。佐々木は1番仁志、2番福王を三振に切って取りピンチを切り抜けると、続く9回表には、3番松井、4番清原、5番広沢と巨人の誇るクリーンアップにかすらせもせず、5者連続奪三振で試合を締めた。
:一番のファン:
佐々木の一番のファンは父である忠雄さんだろう。東北高時代には息子に気付かれないように外野の松の木に身を隠して練習試合を観戦し、プロ入り後は投球がミットに収まる音だけで、その日の好不調を言い当てた。そんな最愛の父が97年6月11日に倒れた。佐々木は日曜日の試合が終わるとその足で父を見舞いに帰った。その後も危篤状態が続く父を見舞うため、仙台と横浜を往復する日々が続いた。「俺が打たれたら親父も死ぬ」、佐々木はそんな気持ちで投げ続けた。7月1日から5連投を続け、その5連投目に佐々木は打たれ、チームの連勝も止まった。その二日後の7月7日に父は亡くなった。
:防御率0.00:
98年には6月が終わって何と防御率0.00。このまま大記録を打ち立てるかと思われたが、高校の後輩である阪神の矢野に打たれ連続試合セーブは22でストップして、無敗記録も防御率0.00も夢に消えた。奇しくもその日は7月7日、父の命日だった。「少しは負けて楽になれ」プレッシャーに潰されそうになっていた佐々木に父はそう言いたかったのかもしれない。そして翌日、またもピンチを迎えた佐々木をチームが救った。矢野の放った三遊間を抜けそうな打球を進藤が好捕してピンチを脱出。佐々木は宿所に向かうバスの中で前日に打たれた事と、その日みんなの力で勝てたことを思い選手全員に頭を下げた。その日からチームは10連勝を記録した。
:大魔神社:
優勝を目前にした9月19日、横浜駅の地下街に突如「ハマの大魔神社」が出現して、佐々木のフォークの握りをかたどった黄金の右腕がご神体として奉納された。試合の前後にお参りする人が後を絶えず、行列まで出来る盛況ぶりだった。翌年の1月16日に撤去されたが、その数時間前には佐々木が大魔神社を訪れ100円を寄付した。大魔神社には1660万円もの賽銭が集まり、横浜市社会福祉協議会に寄付された。
:優勝を知らないストッパー:
佐々木には忘れられない言葉がある。尊敬する江夏が言った「優勝を知らない男が、本当の意味でストッパーと言えるのだろうか?」という言葉だ。佐々木はその言葉に反発した。自分は完璧な仕事をしている自負があった。だが優勝は夢でしかなかった時代、江夏の言葉は佐々木の全否定に等しかった。時は流れ、チームは優勝を狙えるチームへと育ってきた。そんな中で佐々木は「ストッパーの存在価値はどんな個人記録よりも、チームの優勝にある。そのことが優勝争いをしている間に肌で分かってきました」。98年10月8日、新庄から空振り三振に奪い横浜の38年ぶりの優勝を決めて佐々木はMVPを獲得した。
:アメリカンリーグ新人王:
99年にFA権を取得すると右ひじを手術して翌年にFAでシアトル・マリナーズに移籍。だが手術明けということもあって、なかなか本調子に戻らず、5月には2試合連続サヨナラ本塁打を浴びて中継ぎに降格された。そんな中で佐々木は黙々と走り込みを続け6月にはストッパーの座を取り戻し、夏になってからはセーブを量産した。終わってみればメジャー記録の新人37セーブ。アリーグ1位のセーブ成功率.919を記録して32歳でアリーグ新人王に輝いた。
:メジャー記録:
02年6月26日には登板160試合目にして100セーブを達成。これはそれまでの192試合を大幅に塗り変えるメジャー最速記録だった。また03年4月4日には、1イニング4奪三振(振り逃げを含む)のメジャータイ記録も達成した。
:名球界:
03年12月15日、名球界の参加資格条件が、これまでの200勝、2000本安打に加え、250セーブ以上挙げた投手にも資格が与えられ、さらに日米通算成績でもOKと規約変更した。これによってベイスターズ、マリナーズで350セーブ以上を記録している佐々木の名球界入りが決定した。生え抜きとしては松原、平松に続き3人目の快挙だった。
:日本へ:
04年1月12日、岡山市内で開かれたトークショーに出席した佐々木は、質疑応答コーナーで「もし佐々木さんが日本に戻るとしたら、どこのユニホームを着たいですか?」と問われ、「もし、ですよ。もしならば、僕にはベイスターズしかないですね」と口にした。それから1週間後、この言葉は一気に真実味を帯びてくる。19日に「家族のために日本の球団でプレーしたい」とマリナーズに退団を申し入れていた事が分かり、日本球界復帰がほぼ確実となった。
:横浜復帰:
実は03年7月にTBSの会長でもある砂原球団オーナーの元に、佐々木からマリナーズのユニホームが贈られている。TBSのチャンネル「6」の背番号入りで、添えられたメッセージにはこうあったという。「私のことをお忘れなきよう」04年2月3日横浜に佐々木が帰ってきた。
:145キロ:
04年4月6日阪神戦で日本復帰を果たした佐々木にかつてのイメージは無かった。キャンプで怪我をしたことも響いてストレートは135キロに届かないことさえあり、フォークの切れも明らかに落ちていた。だが代わりに佐々木には抜群のコントロールが備わっていた。5月5日巨人戦では清原から空振り三振を奪った。2球目に投げたストレートは電光掲示板に132キロと表示されたが「絶対にスピードガンが壊れてるよ。振り返ってガクッときたよ。自分の中では145キロはいってた」
:無敗:
04年前半戦、佐々木は21試合に登板して防御率0.92、1勝0敗18セーブ、長打と四球はわずか1個だった。ストレートの球威は戻らなかったが、成績は全盛期の97−98年に並ぶほどだった。そして後半戦の開幕戦となった7月16日の広島戦で高津に並ぶ日本記録の289セーブポイントを記録した。
:サヨナラ:
日本タイ記録に並んだ佐々木に新記録の舞台はなかなか回ってこなかった。チームの状態は悪くなかったが勝つときは大勝ばかりで、セーブのつく場面で9回に回ってくることは無かった。7月25日の巨人戦では1点リードの8回に山田が打たれ登板が流れた。山下監督はガンとしてセーブのつかない場面では佐々木を使わず。抑えとしては異例の18日間登板無しとなった。そして8月4日の首位中日戦でついに出番がやってきた。だが佐々木は先頭の井端にヒットを許すとニ盗で無死二塁、立浪の内野安打で一二塁となると重盗を決められた。そしてアレックス、井上と4連打で一気に逆転サヨナラ負けを喫した。
:3連発・・:
初黒星から三日後の8月7日ヤクルト戦でも佐々木は度会に打たれ同点に追いつかれ、延長戦の末にチームは敗れた。そして翌8日ヤクルト戦、2点リードの9回のマウンドに佐々木が上がった。一死後に土橋にフォークを救い上げられて、この年2本目のホームランを打たれた。そして続く岩村にもフォークをライトスタンドに運ばれ同点。さらに古田に力の無いストレートをレフトスタンドに打たれ、まさかの3連続被弾でメジャー時代にも無かった3試合連続救援失敗となった。佐々木は「勝負の世界とはいえ、初めてのことだから。さすがにこたえた…」、とショックを隠せず、一時は引退騒動にまでなった。
:復活ならず・・:
05年4月2日中日戦。1点リードの9回裏に半年振りのマウンドに上がった佐々木だったがストレートが全く走らず高橋光に逆転サヨナラ弾を浴びて敗戦投手になった。その後も4月10日阪神戦で3連打を打たれてまたも逆転サヨナラ負け。4月21日ヤクルト戦でも土橋に打たれてサヨナラ負けとさんざんな内容で4月22日に二軍に降格した。
:地元で引退:
二軍落ち後も球威が戻らなかった佐々木はついに引退を決意した。引退試合となったのは8月9日に地元仙台で行われる巨人戦で、対戦相手は「対戦していて一番楽しい打者」という清原が選ばれた。2回無死一塁でマウンドに登った佐々木は打席で号泣する清原をストレートで追い込むと、最後は伝家の宝刀フォークで空振り三振に切って取った。
:10月8日に引退:
05年10月8日ヤクルト戦。38年ぶりの優勝を決めた7年後の同日に佐々木の引退セレモニーが行われた。チームがAクラスをかけていたため登板はなくなったが、8対1で快勝した試合後。バックスクリーンに98年に日本一を決めた日本シリーズ第6戦のメンバーが表示されると「ピッチャー阿波野に代わりまして佐々木」がコールされた。リリーフカーに乗ってマウンドに登った佐々木は「生涯野球人であることを誓う」とあいさつしてマウンドを降りた。 |
|
| 初記録 |
| 初登板 |
90年4月7日中日戦 |
| 初勝利 |
90年5月24日ヤクルト戦 |
| 初奪三振 |
90年4月7日中:落合から |
| 初完投 |
− |
| 初セーブ |
90年4月11日広島戦 |
|
| 記録達成日 |
| 100セーブ |
95年9月27日巨人戦 |
| 150セーブ |
97年8月7日阪神戦 |
| 200セーブ |
98年9月4日中日戦 |
| 500奪三振 |
95年7月8日ヤ:池山から:日本最速 |
| MLB100S |
02年6月26日As戦:MLB最速 |
|
| その他の記録 |
| IBMベストオブイヤー |
98年 |
| 22試合連続セーブ |
4月26日ヤ−6月30日広 |
| 対中日戦14セーブ |
97年 |
| アリーグ新人王 |
00年 |
| MLBオールスター出場 |
01年、02年 |
|
| その他の記録 |
| 月間MVP |
91年7月:97年8月:98年6月9月
|
| 月間14セーブ |
|
| 7者連続三振 |
94年9月18日広島戦 |
| 4者連続3球3振 |
91年8月28日広島戦 |
| 1回4奪三振 |
03年4月4日テキサス戦 |
|
|
|
|
90 |
91 |
92 |
93 |
94 |
95 |
96 |
97 |
98 |
99 |
04 |
05 |
|
| MVP |
|
|
|
|
|
|
|
|
● |
|
|
|
1回 |
| 最優秀救援 |
|
|
● |
|
|
● |
● |
● |
● |
|
|
|
5回 |
| ベストナイン |
|
|
|
|
|
|
|
|
● |
|
|
|
1回 |
| オールスター |
|
|
● |
● |
|
● |
● |
● |
● |
● |
● |
|
8回 |
|
投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
| 90 |
大洋 |
16 |
0 |
0 |
2 |
4 |
2 |
47.2 |
49 |
10 |
30 |
0 |
44 |
4 |
1 |
31 |
31 |
5.85 |
| 91 |
大洋 |
58 |
0 |
0 |
6 |
9 |
17 |
117.0 |
72 |
7 |
51 |
4 |
137 |
5 |
1 |
33 |
26 |
2.00 |
| 92 |
大洋 |
53 |
0 |
0 |
12 |
6 |
21 |
87.2 |
47 |
6 |
39 |
1 |
135 |
8 |
0 |
32 |
24 |
2.46 |
| 93 |
横浜 |
38 |
0 |
0 |
3 |
6 |
20 |
55.0 |
35 |
6 |
21 |
2 |
84 |
3 |
0 |
24 |
20 |
3.27 |
| 94 |
横浜 |
31 |
0 |
0 |
3 |
1 |
10 |
46.0 |
27 |
5 |
15 |
0 |
59 |
1 |
0 |
11 |
11 |
2.15 |
| 95 |
横浜 |
47 |
0 |
0 |
7 |
2 |
32 |
56.2 |
30 |
5 |
17 |
0 |
78 |
4 |
0 |
12 |
11 |
1.75 |
| 96 |
横浜 |
39 |
0 |
0 |
4 |
3 |
25 |
49.2 |
37 |
6 |
16 |
1 |
80 |
4 |
0 |
17 |
16 |
2.90 |
| 97 |
横浜 |
49 |
0 |
0 |
3 |
0 |
38 |
60.0 |
25 |
6 |
17 |
1 |
99 |
2 |
0 |
6 |
6 |
0.90 |
| 98 |
横浜 |
51 |
0 |
0 |
1 |
1 |
45 |
56.0 |
32 |
1 |
13 |
1 |
78 |
1 |
1 |
7 |
4 |
0.64 |
| 99 |
横浜 |
23 |
0 |
0 |
1 |
1 |
19 |
23.1 |
19 |
1 |
6 |
0 |
34 |
3 |
0 |
5 |
5 |
1.93 |
| 04 |
横浜 |
25 |
0 |
0 |
1 |
2 |
19 |
22.2 |
18 |
4 |
3 |
0 |
18 |
0 |
1 |
8 |
8 |
3.18 |
| 05 |
横浜 |
9 |
0 |
0 |
0 |
3 |
4 |
6 |
11 |
2 |
2 |
0 |
5 |
0 |
0 |
6 |
6 |
9.00 |
|
| 通算 |
12年 |
439 |
0 |
0 |
43 |
38 |
252 |
627.2 |
402 |
59 |
230 |
10 |
851 |
35 |
3 |
192 |
168 |
2.41 |
|
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
| 90 |
大洋 |
25 |
15 |
0 |
3 |
1 |
0 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
5 |
0 |
0 |
.200 |
| 91 |
大洋 |
58 |
23 |
2 |
3 |
0 |
0 |
0 |
3 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
2 |
0 |
7 |
0 |
1 |
.130 |
| 92 |
大洋 |
53 |
13 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
2 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
7 |
0 |
1 |
.154 |
| 93 |
横浜 |
39 |
9 |
0 |
2 |
1 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
5 |
1 |
2 |
.222 |
| 94 |
横浜 |
31 |
7 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
3 |
1 |
0 |
.000 |
| 95 |
横浜 |
47 |
8 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
5 |
1 |
0 |
.125 |
| 96 |
横浜 |
39 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
1 |
.000 |
| 97 |
横浜 |
49 |
5 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
5 |
0 |
0 |
.000 |
| 98 |
横浜 |
51 |
9 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
8 |
0 |
0 |
.000 |
| 99 |
横浜 |
23 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
| 04 |
横浜 |
25 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
| 05 |
横浜 |
9 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
| 通算 |
12年 |
449 |
95 |
2 |
11 |
2 |
0 |
0 |
13 |
5 |
0 |
0 |
6 |
0 |
4 |
0 |
48 |
3 |
5 |
.116 |
|
|
日本シリーズ投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
| 98 |
横浜 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
3.1 |
1 |
0 |
2 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1 |
1 |
2.70 |
|
|
オールスター投球成績
|
回数 |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
| 通算 |
8回 |
10 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
12.1 |
12 |
1 |
2 |
0 |
20 |
0 |
0 |
3 |
3 |
2.70 |
|
|
MLB投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
| 00 |
マリナーズ |
63 |
0 |
0 |
2 |
5 |
37 |
62.2 |
42 |
10 |
31 |
2 |
78 |
25 |
22 |
3.16 |
| 01 |
マリナーズ |
69 |
0 |
0 |
0 |
4 |
45 |
66.2 |
48 |
6 |
11 |
4 |
62 |
24 |
24 |
3.24 |
| 02 |
マリナーズ |
61 |
0 |
0 |
4 |
5 |
37 |
60.2 |
44 |
6 |
20 |
2 |
73 |
24 |
17 |
2.52 |
| 03 |
マリナーズ |
35 |
0 |
0 |
1 |
2 |
10 |
33.1 |
31 |
2 |
15 |
1 |
29 |
17 |
15 |
4.05 |
|
| 通算 |
4年 |
228 |
0 |
0 |
7 |
16 |
129 |
223.1 |
165 |
24 |
77 |
9 |
242 |
90 |
78 |
3.14 |
|
|
二軍投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四死 |
三振 |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
| 90 |
大洋 |
3 |
0 |
0 |
1 |
0 |
10.2 |
9 |
1 |
9 |
12 |
7 |
7 |
5.91 |
| 93 |
横浜 |
2 |
0 |
0 |
0 |
1 |
4.0 |
4 |
0 |
3 |
3 |
2 |
2 |
4.50 |
| 94 |
横浜 |
3 |
0 |
0 |
1 |
0 |
4.0 |
3 |
1 |
2 |
5 |
3 |
3 |
6.75 |
|
| 通算 |
3年 |
8 |
0 |
0 |
2 |
1 |
18.2 |
16 |
2 |
14 |
20 |
12 |
12 |
5.79 |
|
|
|
|
|
|
|