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進藤 達哉



名前 しんどう たつや
生年月日 1970年1月14日
経歴 高岡商高−大洋−横浜−オリックス
入団年 87年ドラフト外
在籍年 88年−00年
背番号 88年−92年[36]:93年−00年[1]
投打 右投げ右打ち
守備 内野手
野村に敗れる
高岡商高時代には85年夏、87年夏と2回甲子園に出場。87年夏の3回戦では、同時に大洋に入団することになる野村 弘樹が所属するPL学園に惜敗した。同年のPL学園には立浪、片岡なども所属していた。

大洋入団
87年オフにドラフト外で大洋ホエールズに入団。初年度はイースタンリーグでも打率.195に終ったが、フットワークのいい守備が評価されて一軍初出場を果たした。翌89年の4月14日にはイースタンリーグの日本ハム戦でサヨナラヒットを放った。同試合は横浜スタジアムで行なわれた親子ゲームであったため、古葉監督が観戦しており一軍昇格への大きなアピールとなった。

レギュラー
92年には高橋雅の故障で開幕スタメンを任されたが早々に故障で離脱、チャンスを逃しかけたが、代わってショートで起用された石井も故障したため再びショートのレギュラーの座を掴んで108試合に出場、打率.246、11本塁打を記録、5月19日のヤクルト戦では満塁ホームランを放って「1軍でやっていける自信がついた」と語っている。同じく92年からサードのレギュラーを獲得した石井と共に長年にわたってドラフト外コンビで三遊間を形成した。

サヨナラ男
92年8月22日中日戦で6対6で迎えた9回裏に打席に入ると、前日に斉藤明雄から貰ったバットで今中から大洋ホエールズ最後のサヨナラ本塁打を放つ大仕事をやってのけた。翌93年4月16日阪神戦では仲田から横浜ベイスターズ初のサヨナラ本塁打を放ち、開幕から5連敗中だった横浜ベイスターズに初めての勝利をもたらした。また92年、00年にはサヨナラヒット、95年にはサヨナラ犠飛を放っている。

ショート>セカンド>サード
96年に就任した大矢監督は大胆なコンバートを実行した。サードで3年連続ゴールデングラブを獲得した石井をショートに、セカンドのローズをサードに回して、球界一のショートストップとまで言われていた進藤をセカンドに転向させるという大改革でセンターライン強化に乗り出した。だがサードに転向したローズがエラーを連発し、結局はローズはセカンドに戻ることになり、進藤はサードに回されることになった。

絶好調から一転・・
97年、開幕から絶好調の進藤は打率.333で打撃ベストテンの上位に顔を出していた。だが5月28日のヤクルト戦で吉井から頭部に死球を受け意識を失い退場、6月中旬に代打で復帰したものの、ボールに対する恐怖心が取れることは無く、打率.236でシーズンを終えた。

2番進藤
98年5月6日巨人戦、2点リードされて迎えた7回表、横浜は無死一二塁のチャンスを掴む、しかしこの日2番に入っていた進藤が送りバントを失敗してしまう、バント嫌いの権藤監督があえて出したサインに答えられなかった。だが進藤に汚名返上のチャンスが回ってくる、2点リードされたまま迎えた9回表、場面は一死一三塁、「初球に変化球がきたのでフォークで攻めてくると思ってました」との読みどおり、金石のフォークを捕らえた打球はそのままレフトスタンドへ飛び込む逆転のスリーランになった。すると進藤は翌日の巨人戦でも2本塁打を放ちチームを勝利に導いた。

連夜の悪夢を
98年7月8日阪神戦、1対0の1点リードで迎えた9回裏のマウンドに佐々木が上がった。佐々木は前日の阪神戦で矢野にサヨナラ打を打たれて2年ぶりの敗戦を味わっていた。そしてこの日も四球から一死二塁というピンチを作ると打席に矢野が入った。いやな雰囲気が漂うなか三遊間を襲った矢野の強烈な打球に進藤が飛びついた。そしてすぐさま一塁に送球しアウト。進藤は7月2日の広島戦で左ヒジに死球を受けてバッティングも満足に出来ない状態だったが、9回から守備固めでサードに入り、死球を受けた左腕でダイビングキャッチした。このプレーで息を吹き返した佐々木は続くハンセンを三振に仕留めて逃げ切り同日から伝説の10連勝が始まった。

優勝打!
98年10月8日、勝てば38年ぶりの優勝が決まる運命の阪神戦、試合は7回が終わって2対3とリードを許していた。ところが8回表に思わぬ形でチャンスが生まれる、ローズ四球、佐伯四球、谷繁死球で二死満塁、この一打逆転の場面で、打席に向かいかけた進藤に権藤監督が声をかけた、進藤は「代打かな」と思ったが、権藤監督は「イケ、振り回して来い!」と言っていた、これで腹をくくった進藤はカウント2−3からの外角低めの難しいボールをしぶとく右方向に運びライト前へ、まずはローズが帰り同点、そして佐伯がホームへ滑り込み逆転!、いつもクールな進藤が二塁ベース上で大きなガッツポーズを見せた。

勝負強さ○
98年は主に下位打線を打っていた進藤は打率こそ.241と今ひとつだったが、その勝負強さは際立っており打点は自己最多の54、勝利打点は優勝決定試合を含め10回記録と打撃面でも優勝に大きく貢献した。

日本シリーズの日本記録
日本シリーズでは6試合全てで三振を記録し、6試合でのシリーズ新記録9三振を記録した

3年連続ゴールデングラブ
進藤の最も優れた点は、なんと言っても華麗な守備力にある。95年まではショートを守っていたが出場試合数が少なかったのが響いたのかゴールデングラブを獲得することは出来なかった、だが96年にサードに転向すると、97年からで3年連続でゴールデングラブを獲得した。

FA
99年オフ、FAの権利を手にした進藤はセカンドを守りたいとオリックス移籍を希望した。オリックスも獲得に前向きで話はまとまるかに思えたが、進藤が希望するセカンドは保証されないとの事で、進藤は一転横浜残留を決断する。

移籍
横浜残留を決め、00年の開幕戦でサヨナラヒットを放ったまでは良かったが、ケガで戦列を離れている間に金城がサードで大ブレイクし、進藤の守るポジションは無くなっていた。同年のオフには昨年まとまりかけたオリックスとの間で進藤、戸叶、新井=小川、杉本、前田の中型トレードが成立した。

リストの強さ
進藤は03年4月29日の近鉄戦で山本から100号本塁打を放ったが、決して大柄とはいえない体格で本塁打を量産できた秘密は、そのリストの強さにある、手首が強いから守備で体制が崩れても強い送球を投げることが出来るし、打撃ではボールを捕らえた瞬間に手首を返すことによって最後の一押しが出来る。よく解説者が進藤を評する時に「リストの強さ」という言葉を使っていた。


初記録
初出場 88年10月20日ヤクルト戦
初安打 89年5月12日中:山本昌から
初本塁打 89年9月6日巨:桑田から
初打点
初盗塁
記録達成日
1000試合 00年5月5日中日戦
100本塁打 03年4月29日近:山本から
ランニングホームラン 93年6月10日広:北別府から




88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03
ゴールデングラブ 3回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
88 大洋 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
89 大洋 56 83 8 20 4 2 2 34 9 0 0 3 0 4 0 24 0 1 .241
90 大洋 40 119 18 31 5 0 2 42 9 3 1 8 0 9 0 19 0 3 .261
91 大洋 23 40 5 7 2 0 1 12 5 1 0 3 0 3 1 14 0 1 .175
92 大洋 108 353 45 87 18 1 11 140 30 7 0 6 0 25 4 75 7 4 .246
93 横浜 127 414 53 94 22 4 12 160 45 3 6 4 1 46 7 70 6 12 .227
94 横浜 80 283 34 67 14 2 4 97 23 3 5 6 2 34 2 40 6 4 .237
95 横浜 126 368 47 80 10 4 11 131 31 5 2 20 2 62 4 55 12 7 .217
96 横浜 67 195 21 51 8 1 2 67 24 4 2 12 0 30 1 34 5 3 .262
97 横浜 117 352 37 83 19 1 10 134 43 9 5 12 5 53 1 61 7 5 .236
98 横浜 124 390 50 94 19 1 14 157 54 0 0 8 3 52 2 75 14 4 .241
99 横浜 109 332 38 95 13 1 14 152 43 1 1 4 4 30 0 60 5 6 .286
00 横浜 59 134 14 30 7 0 2 43 15 0 0 0 0 13 0 26 2 0 .224
01 オリックス 115 302 40 73 17 0 9 117 40 0 2 3 1 35 1 65 4 5 .242
02 オリックス 121 356 35 80 14 0 5 109 29 4 1 10 1 19 6 94 6 5 .225
03 オリックス 75 122 14 25 5 0 5 45 12 2 1 1 0 10 1 34 3 1 .205
球団 13年 1037 3063 370 739 141 17 85 1169 331 36 22 86 17 361 22 553 64 50 .241
通算 16年 1348 3843 459 917 177 17 104 1440 412 42 26 100 19 425 30 746 77 61 .239


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
98 横浜 6 24 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 9 0 0 .083