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鈴木 尚典



51
名前 すずき たかのり
生年月日 1972年4月10日
経歴 横浜高校−大洋−横浜
入団年 90年ドラフト4位
在籍年 91年−08年
背番号 91年−97年[51]:98年−06年[7]:07年−08年[51]
投打 右投げ左打ち
守備 外野手
キャッチャ-鈴木
4000グラムという大型赤ちゃんとして生まれる。小学2年生からリトルリーグで野球を始める。漫画「ドカベン」の主人公、山田 太郎に憧れていたという鈴木は横浜高校に入学するまで7年間キャッチャーをしていた。左打ちになったのも山田 太郎の影響だとか。小6の夏には3番捕手で全国大会準優勝を達成。中3の夏にも3番捕手で全国3位。

横浜入団
横浜高校では外野に転向して1年から4番、高校通算で打率.474、39本塁打を記録した。90年オフのドラフトで横浜から4位指名を受け入団。入団時から、その長打力には高い評価を得ていたが初年度は二軍で7安打、二年目は9安打でホームランは共にゼロと全く結果が残せなかった。

4番
だがそんな鈴木にファームの打撃コーチに就任した竹之内 雅史は「来年、お前を4番で使うからな」と声をかけた。この言葉で必死になったという鈴木は翌年の春の教育リーグで4本塁打を放って見せた。中でも4月2日の巨人戦で放った一発は、ルーキー松井 秀喜の取材に大勢の報道陣が集まる中で、その松井の頭上を越える逆転サヨナラツーランだった。同年にはシーズンを通して二軍の4番にすわり、328打数92安打で打率.280、9本塁打で47打点と結果を残した。

初本塁打が代打満塁ホームラン
一軍定着が期待された94年はオープン戦でホームランを放った翌日に怪我をするなど、なかなか一軍では結果を残せなかった。だが8月9日の巨人戦の4回表に一死満塁というチャンスで代打で起用され、槙原からライトポールに直撃する初本塁打となる代打満塁ホームランを放ち、遂に実力が開花した。

逆転サヨナラホームラン
95年7月16日の巨人戦は5回が終わって7対1と完敗ムードだった。6回裏にローズが満塁ホームランを放ち2点差に迫るが、試合は巨人2点リードのまま進み、既に9回裏二死ランナーなし、勝負は決まったかに思われたが、まずは石井がライト前、波留が内野安打でつなぐと、12打席連続ノーヒット中の鈴木が木田の二球目を強振、打球はセンターへグングン伸び、そのままバックスクリーンに飛び込むサヨナラスリーランになった。

打率:.299
96年には最終戦を残して打率.301。規定打数もすでに超えていて、3割を守るために欠場が予想されたが、鈴木は最終戦も出場し3打数ノーヒットで.299に打率を落とし3割を逃すことになった。

隠し球
97年6月26日巨人戦。横浜は必死の系統で巨人打線を抑え込んだが、横浜も斎藤 雅樹から得点が奪えず0対0のまま8回裏に入った。先頭の鈴木が内野安打で出塁し、ローズのライト前で無死一、二塁というチャンスを作ったが、二塁走者の鈴木がショート元木の隠し球でアウトになった。幸い駒田のツーベースと谷繁のタイムリーで1点を先制したが、9回表に佐々木が石井浩にソロを打たれ同点に追いつかれてしまう。9回裏に二死三塁から打席に入った鈴木は追い込まれながらも斎藤のストレートをセンター前に弾き返してサヨナラ勝利を飾った。

首位打者
97年はオープン戦で首を痛め、完治しない状態で開幕から強行出場を続けたが打率が低迷、チームも下位に沈む苦しい幕開けとなった。だが5月27日のヤクルト戦で1点を追う9回裏二死一、二塁で好投手の伊藤智と対戦した際に足が震えるほどの緊張感の中でファウルで粘り続けると徐々にタイミングが合い、ピッチャー強襲の内野安打を放った事をきっかけに復調。自身が「運命を変えた」と語る打席を制した鈴木は打率をぐんぐん上昇させて打率.335で首位打者を獲得すると共に、横浜の日本人選手としては84年の田代以来となる20本塁打以上を達成してチームの2位躍進に大きく貢献した。

日本シリーズMVP
98年も打率.337で2年連続首位打者に輝き優勝に大きく貢献した。日本シリ−ズではガチガチに緊張した状態で迎えた初戦の第1打席で当てただけのゴロが先制タイムリーになった事で気持ちが乗り、「野球人生で究極のゾーン」に入った鈴木は第2戦で先制タイムリーを含む4打数4安打2盗塁を記録するなど、5戦目まで全てでマルチヒットを放ち、通算25打数12安打で打率.480、シリーズ新の9得点をマークしてシリーズMVPに選出された。

球団記録
99年には球団記録となる110得点を記録したが、緒方(広)の111得点に惜しくも及ばず、球団記録を達成しながらタイトルを逃した。また同年には178安打を放ちながら、ローズがセリーグ新の192安打を放ち、最多安打のタイトルも逃している。

4番
退団したローズに代わって4番に入った01年は本塁打を増やすためウエイト・トレーニングやフォーム変更などを行なったが、厳しいマークもあって打撃を狂わせてしまう。6月24日の巨人戦では左打者としてはプロ野球初の3併殺を記録。なお同6月24日にはヤクルトのペタジーニがプロ野球史上二人目の左打者3併殺を記録した。結局01年は打率は.315ながら6本塁打に終わってしまうと、翌02年には打率.282で9本塁打とさらに成績を落とす散々な結果に終った。

大不振
03年は打率.311で19本塁打と本来の力を発揮したが、翌04年は開幕戦から任された2番という打順もあってまたも不振に陥り、4月21日にはスタメン落ち。23日からはミニキャンプをしながらベンチを温め続けた。「今まで試合に出るのが当然だったから、精神的に弱くなった」、だが鈴木は「どんなことがあっても手を抜かない。悔いの残らない野球人生を送るために」、と新婚旅行中でもバットを放さなかった男は、黙々と練習に取り組み出番を待った。

悔しさをバネに
04年6月5日阪神戦、この日まで打率.198、0本塁打の鈴木は、8回裏に先頭バッターとして代打で起用されるがレフトフライに終わった。だが打順の関係でそのまま5番レフトに入った。そして5対5の同点で迎えた9回裏、内川がセンター前で出塁すると、ウッズが四球で繋ぎ、二死一、二塁のチャンスで鈴木に打席が回ってきた。「外野が前に出ていたので、頭の上を抜こうと思いきりたたいた」という打球は、打った瞬間それとわかる軌跡を残してライトスタンドに突き刺さる自身4本目のサヨナラアーチとなった。

どん底からの
04年を150打数40安打、打率.267でわずか1本塁打で終えると、翌05年は79打数17安打で打率.215、本塁打はゼロと落ちるところまで落ちてしまい、翌06年はついに二軍スタートとなった。だが鈴木は44打数17安打、打率.386と打ちまくり5月11日に一軍に昇格。一軍ではほとんどが代打であったが、全力疾走で何本も内野安打を勝ち取るなど82打数27安打で打率.329と結果を残した。なお同年には代打でリーグトップの打率.380(50打数19安打)を記録。また鈴木は通算で363回代打で起用されて88安打を放っており、代打で記録した54打点は長田 幸雄の71打点に次ぐ球団2位の記録。

引退
07年に大矢監督が就任すると鈴木の復活をチーム再建のポイントに上げ、鈴木も背番号をかつての51番に戻すなど大きな決意をかけてシーズンに望んだがレギュラーを掴むことは出来なかった。08年も開幕から結果が残せずに二軍落ちとなったが、二軍で打率.400を記録して8月17日に一軍に復帰。その後はまずまずの成績を残したが、10月3日の試合前に戦力外通告を受けた。現役続行を望んだ鈴木は同日の中日戦で9回裏の意地のソロを放ったが球団の意思は変わらなかった。他球団への移籍も考えられたが「違うユニホームを着て横浜と戦うことが想像できなかった」と横浜への愛着もあって引退を決断した。

::
翌09年の3月22日に行われた巨人とのオープン戦で引退試合が行われてグライシンガーからライトスタンドに美しい弾道のホームランを運んで有終の美を飾った。引退後は2年間コーチを務めたが、その後はジュニアチームの監督や解説を経て、20年からは独立リーグのフューチャードリームスの監督を勤め、22年から打撃コーチで横浜に復帰した。


初記録
初出場 91年10月14日中:6番ライトで3タコ
初安打 93年7月1日ヤ:伊東からセンター前
初本塁打 94年8月9日巨:槙原から代打満塁弾
初打点 93年6月26日中日戦で記録
初盗塁 95年8月5日巨:初回に二盗
記録達成日
1000試合 02年7月28日広島戦
1500試合 08年9月13日中日戦
1000安打 01年7月31日広:高橋から
100本塁打 00年9月14日ヤ:レモンから

その他の記録
日本シリーズMVP 98年
最多勝利打点 97年:00年
月間MVP 97年7月




91 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08
首位打者 2回
ベストナイン 2回
オールスター 4回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
91 大洋 1 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
93 横浜 12 22 3 6 2 0 0 8 1 0 0 0 1 1 0 2 0 1 .273
94 横浜 48 77 6 20 0 1 3 31 8 0 1 0 0 3 1 18 1 0 .260
95 横浜 117 336 48 95 20 1 14 159 58 3 1 1 5 28 2 65 6 1 .283
96 横浜 111 355 66 106 15 0 13 160 62 6 2 2 3 47 3 79 7 4 .299
97 横浜 125 478 76 160 30 4 21 261 83 11 8 0 3 48 5 82 6 5 .335
98 横浜 131 514 92 173 30 6 16 263 87 3 7 0 4 61 4 96 10 2 .337
99 横浜 134 542 110 178 31 6 17 272 92 7 4 1 6 57 7 109 10 4 .328
00 横浜 134 552 91 164 32 4 20 264 89 6 0 0 6 43 6 85 15 1 .297
01 横浜 122 454 56 143 22 1 6 185 57 15 4 1 5 51 5 72 9 3 .315
02 横浜 99 380 34 107 19 0 9 153 42 3 3 2 2 17 9 63 7 2 .282
03 横浜 133 492 67 153 30 0 19 240 57 6 4 0 0 24 6 83 12 3 .311
04 横浜 80 150 18 40 9 0 1 52 21 1 0 2 4 9 3 25 7 2 .267
05 横浜 65 79 2 17 3 0 0 20 9 0 0 0 1 4 2 23 1 0 .215
06 横浜 61 82 10 27 5 3 2 44 13 0 0 0 1 2 1 16 0 0 .329
07 横浜 95 237 27 55 12 1 3 78 17 1 0 0 2 21 0 48 9 1 .232
08 横浜 49 45 3 12 0 1 2 20 4 0 0 0 0 3 1 10 1 0 .267
通算 17年 1517 4798 709 1456 260 28 146 2210 700 62 34 9 43 419 55 877 101 29 .303


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
98 横浜 6 25 9 12 3 0 1 18 8 2 1 0 0 2 0 3 0 0 .480


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 4回 8 22 1 9 1 0 0 10 1 0 0 0 0 0 0 6 1 0 .409


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
91 大洋 27 35 3 7 1 0 0 8 0 1 0 0 2 7 0 0 .200
92 大洋 40 58 3 9 1 0 0 10 2 3 0 0 5 15 1 2 .155
93 横浜 85 328 45 92 16 4 9 143 47 2 0 1 29 54 6 4 .280
94 横浜 40 148 24 47 2 1 7 72 26 4 0 4 16 19 1 1 .318
95 横浜 1 1 0 1 0 0 0 1 1 0 0 1 1 0 0 0 1.00
96 横浜 1 4 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 1 0 .250
06 湘南 15 44 6 17 5 0 2 28 14 1 0 0 2 4 1 1 .386
07 湘南 4 14 2 2 1 0 0 3 0 0 0 0 1 3 0 0 .143
08 湘南 33 45 8 18 5 0 2 29 11 2 0 0 7 3 1 0 .400
通算 9年 246 675 91 194 31 5 20 295 101 13 0 6 63 56 11 8 .287