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戸叶 尚



63
名前 とかの ひさし
生年月日 1975年2月4日
経歴 佐野商−横浜(92年D5位)−オリックス−楽天
入団年 92年にドラフト5位で入団
在籍年 93年−00年
背番号 93年−98年[63]:99年−00年[19]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
横浜入団
野球を始めたのは小学校4年のときだが、3年の時の作文には「将来はプロ野球の選手になる」と書かれていた。中学時代は投手兼ファースト、中学を卒業すると、足利工時代に石井 琢朗を育て上げた斎藤 庄作が監督を務めていた佐野商に進学。3年時に同年の選抜準優勝高の東海大相模との練習試合で3安打完封を達成しスカウトの目に止まり、92年のドラフト5位で横浜に入団。

サイドスロー
95年からスリークォーターぎみのサイドスローに投球フォームを変更。コーチには初年度から勧められていたが、「なかなか決心がつかなかった。でも今年で3年目、ぜひ挑戦してみようと気持ちになった」、普通はサイドに転向するとスピードが落ちるが、戸叶は逆に140キロ台中盤までスピードが上がった。

初登板
95年のオールスターブレイクの間に一軍の練習に参加し、そのまま一軍登録。7月31日阪神戦で11対3と大量リードした9回裏に初登板、見事に三者凡退で片付けた。8月18日の阪神戦では2点をリードされた6回表からマウンドに上がった。1点こそ失ったが7回裏に打線が4得点と爆発して逆転に成功。8回からは盛田−佐々木と繋いで戸叶に初勝利が記録された。

トカボール
96年の秋キャンプで自称「トカボ−ル」を修得。ただのシンカーだが、これでピッチングに幅が出来た。

初先発
97年5月1日のヤクルト戦で初先発。戸叶はイースタンリーグでも先発経験がなかったが、5.1回を投げて4安打無四球で無失点という素晴らしいピッチングで勝利投手になった。すると10日のヤクルト戦でも5回1失点で勝利投手、20日の巨人戦でも6回を1失点で勝利投手と勝ち星を重ねた。同年の5月は4勝1敗、防御率1.23という成績を残して月間MVPまで争った。

首位攻防
97年は戸叶の活躍もあって横浜移転後初となる首位争いに首を出した。初めての首位攻防となった8月9日のヤクルト戦では、ヤクルトのエース石井一と投げ合い7回を池山のソロのみに抑える2安打無四球という素晴らしいピッチングを見せた。横浜打線も石井一の前に4安打に抑え込まれたが4回裏に上げた2点を必死の継投で守り抜いて何とか逃げ切った。

首位攻防2
首位攻防第二ラウンドとなった8月19日からの神宮球場3連戦で初戦のマウンドを任された。初回、2回と1点ずつを失ったが、4回表に自らタイムリー内野安打で初打点を記録。6回表には谷繁のツーランで逆転に成功。戸叶は6回途中でマウンドを降りたが4安打1四球で2失点に抑えヤクルト戦5勝目を飾った。初戦を取って勢いに乗った横浜はそのまま3連勝を飾り一気に優勝が現実味を帯び出した。

首位攻防3
9月2日、ついに2.5ゲーム差として迎えた首位攻防第三ラウンド。ヤクルト戦5勝1敗という相性の良さを買われて初戦のマウンドを任された戸叶は6回まで3安打1四球で無失点という非の打ち所のないピッチングを見せる。だが横浜打線も石井一の前にノ−ヒットで0対0のまま7回に入った。戸叶は7回表に先頭の古田にヒットを打たれるとバントで二塁に送られ池山のタイムリーで1点を先制されてしまう。なおも一死二塁から小早川を打席に迎えた、敬遠が考えられる場面だったが勝負してツーランという最悪の結果に終ってしまった。打線も最後まで石井一が打ち崩せずまさかのノーヒットノーランを達成されてしまった。

首位攻防4
9月19日、優勝はほぼヤクルトに決まったが、かすかな希望を残した首位攻防第四ラウンド。その初戦を任されたのはまたしても戸叶だった。戸叶は期待に応えてヤクルト打線を5回までノーヒットノーランに抑え込んだ。だが打線がまたしても石井一の前に封じ込まれてしまうと、6回表にその石井一に先制ソロを打たれてしまい、そこから4失点、完膚なきまでに優勝争いは終了した。

権太
98年のキャンプに戸叶は明らかに調整不足な体で合流した。そしてシーズンが始まると開幕から3連敗、6月15日の中日戦にも敗れて1勝5敗と散々な結果になっていた。権藤監督は「お前は野球をなめているからバチが当たったんだ」と叱って戸叶に徹底して走り込みをやらせた。すると6月21日広島戦から4連勝を飾り、中でも巨人戦には無類の強さを見せて対巨人戦は3連勝、8月19日に8回無失点の好投を見せるなど対巨人24イニング連続無失点という記録を打ち立てた。そしてある日ペットショップを訪れた戸叶は8月19日巨人戦での「戸叶復活」を報じた新聞の上に座っていたマルチーズを飼うことに決め、名前を権藤監督から取って権太と名付けた。

移籍
98年は防御率5.17ながら7勝8敗と結果を残したが、翌年からは2年連続で防御率7点台、99年5月23日の広島戦ではリーグ記録のイニング6四球を記録するなど結果が残せずオリックスにトレードされた。02年5月25日のロッテ戦では6回まで2安打、1失点に抑えて投球数も86球と完投ペースだったが、石毛監督が7回からリリーフを送って交代。これで戸叶は先発67試合で完投0という大洋の鈴木隆に並ぶ日本記録となってしまった。戸叶は69試合まで記録を伸ばしたが、その後ケビン・ホッジスに記録を更新されている。

台湾
02年5月15日には台湾で行なわれたダイエー戦の第二戦で先発。海外での公式戦は1リーグ時代の満州と、本土復帰前の沖縄で開催されて以来で、台湾では初めてだった。前日は松中のサヨナラホームランで敗れていたが、この日は進藤の走者一掃となるツーベースなどでオリックスが8対7で辛くも逃げ切った。だが台北天母棒球場のマウンドに上がった戸叶はで初回に柴原のツーベースからピンチを作ると、小久保、松中、城島というホークスが誇る三人に連続タイムリーを打たれて3失点。オリックスが逆転した直後の3回裏にも3安打を集中されてノックアウトされてしまった。

31歳にして
オリックスでは先発、中継ぎの両面でまずまずの結果を残し、04年には40試合に登板し4勝0敗で防御率2.61という成績を残した。05年には分配ドラフトで楽天に移籍したが、わずか12試合出場に留まった。翌年になると7月下旬に右の陰のうが固く腫れ上がり、検査の結果は精巣ガンだった。ネットで病名を検索すると若い人の生存率は70%、戸叶は残り30%が頭から離れなかったという。スポーツ選手としては珍しく一度の入院もしたことがなかった戸叶だったが初めての入院が陰のうの摘出手術になった。


初記録
初登板 95年7月31日阪神戦
初勝利 95年8月18日阪神戦
初奪三振
初セーブ
初完投
その他の記録
イニング6四球(セ記録) 99年5月23日広島戦






  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
95 横浜 11 0 0 2 0 0 18.2 19 4 12 2 13 0 0 14 14 6.75
96 横浜 19 0 0 1 5 0 36.2 41 3 15 4 34 0 1 22 18 4.42
97 横浜 37 0 0 10 7 0 127.0 109 14 49 8 111 6 0 67 58 4.11
98 横浜 23 0 0 7 8 0 123.2 140 15 39 5 79 3 0 79 71 5.17
99 横浜 15 0 0 2 6 0 58.1 74 15 30 4 31 0 0 49 46 7.10
00 横浜 6 0 0 0 0 0 6.0 4 2 5 1 0 0 0 6 5 7.50
01 オリックス 43 0 0 2 4 0 68.2 49 9 37 3 76 2 1 35 31 4.06
02 オリックス 12 0 0 3 3 0 49.1 48 9 11 1 46 1 1 23 22 4.01
03 オリックス 34 0 0 1 2 0 44.2 46 8 33 4 32 2 0 31 25 5.04
04 オリックス 40 0 0 4 0 0 48.1 43 6 27 1 29 2 0 16 14 2.61
05 楽天 12 0 0 0 0 0 12.0 6 2 5 2 15 1 0 7 7 5.25
球団 6年 91 0 0 22 26 0 370.1 387 53 150 24 268 9 1 237 212 5.15
通算 11年 252 0 0 32 35 0 593.1 579 87 263 35 466 17 3 349 311 4.72


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
95 横浜 11 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
96 横浜 19 9 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 6 0 0 .000
97 横浜 48 36 1 4 0 0 0 4 1 0 0 5 0 2 0 27 0 0 .111
98 横浜 42 38 1 3 0 0 0 3 0 0 0 4 0 1 0 23 0 0 .079
99 横浜 18 18 1 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 8 0 0 .167
00 横浜 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
01 オリックス 43 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
02 オリックス 12 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
03 オリックス 34 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
04 オリックス 40 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
05 楽天 12 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
球団 6年 144 101 3 10 0 0 0 10 1 0 0 9 0 3 0 64 0 0 .099
通算 11年 285 101 3 10 0 0 0 10 1 0 0 9 0 3 0 64 0 1 .099


  日本シリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
98 横浜 1 0 0 0 0 0 2.0 3 0 3 0 1 0 0 3 3 13.50


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
98 横浜 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
93 横浜 7 0 1 4 0 22.0 26 5 25 7 29 27 11.05
94 横浜 3 0 0 0 0 9.0 9 1 8 3 7 4 4.00
95 横浜 16 0 0 0 0 17.1 10 0 7 19 4 4 2.08
96 横浜 19 0 1 1 1 28.2 24 0 13 29 8 8 2.51
99 横浜 10 1 1 6 0 57.1 63 6 27 55 28 27 4.24
00 湘南 14 2 6 5 0 88.0 67 11 37 65 37 36 3.68
通算 6年 69 3 9 16 1 222.1 199 23 117 178 113 106 4.29
球団在籍時のみ