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牛島 和彦



72
名前 うしじま かずひこ
生年月日 1961年4月13日
経歴 浪商高-中日(79年D1位)-ロッテ
入団年 79年中日1位
在籍年 05年−06年
背番号 05年−06年[72]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
甲子園決勝
浪商ではドカベン香川と1年生からバッテリーを組んで活躍した。79年の春の甲子園大会決勝の箕島戦では、6―7で迎えた8回ニ死二塁で、ここまでヒット、三塁打、本塁打を許している北野を打席に迎えた。敬遠の指示を持ってマウンドに来た伝令役に「投げとんのはオレや。黙って見とけと言うとけ」と言って追い返した。結果的には二塁打を打たれてセンバツ史上初のサイクル安打達成を許すことになり試合にも敗れた。牛島は9回一死二塁からタイムリーツーベースを打って意地を見せたが同点のホームを踏むことはできなかった。

奇跡
夏の甲子園では一回戦の上尾高戦で0-2で迎えた9回表にニ死一塁で打席に入り、仁村徹が投じた初球の切れのいい外角直球を見た牛島は「これは打てない。終わりだな」と思ったが、次の瞬間に直球の次に必ずカーブがきていたことを思い出した。そして牛島は2球目の肩口から入ってくるカーブをとらえ、打球は左翼ポールを巻く同点ツーランになった。勢いに乗った浪商は延長11回の末にサヨナラ勝ちした。

2度目の・・
準決勝の池田高戦では0-2で迎えた9回裏の無死一、二塁で打席に入った牛島にバントのサインが出た。牛島は確認のサインをベンチに返さなかった。すぐに広瀬監督にベンチへ呼び戻され、「打ちたいか?」と聞かれた。牛島は「打ちたいですよ」と答え、監督は「分かった。打ってこい」と牛島を送り出した。そして牛島の放った打球はショートゴロ併殺打になった。2度目の奇跡は起こらず、そのまま最後の夏は終わった。この年限りの退任が決まっていた広瀬監督に牛島は「すみませんでした」と頭を下げた。すると広瀬監督は「お前らみたいなわがままなやつらと最後に個性的なチームがつくれてよかったよ」と言ってくれた。

リリーフへ
79年にドラフト1位で相思相愛といわれた中日に入団。新人時代に稲尾コーチに「9回裏二死満塁カウント2−3で何を投げるかと?」と問われて、他の新人投手たちが自分の自信のある球種を答えるなかで「どういう状況でそうなったか分からないので、僕は答えられません」と言って、そう教えようと思っていた稲尾コーチを困らせた。2年目の81年には先発では失敗の連続だったが、中継ぎに回ると素晴らしい活躍を見せて勝敗は2勝7敗ながら51試合に登板し、防御率2.77という好成績を上げた。

ストッパーへ
82年には近藤監督はリリーフに回ると結果を残す牛島を衰えの見え始めていた鈴木孝政に代えてストッパーに転向させた。権藤投手コーチは「彼には土壇場で素晴らしいボールを投げる勝負強さがあった。普段はけっこうボールが浮いたり、ストライクが入らなかったりすることもあるのに、肝心な場面では完璧なボールを投げる。とても面白い抑え投手でした」と語り、佐々木、江夏に並ぶ心に残るストッパーに数えている。

日本記録
82年、この年の牛島は8、9回から同点でマウンドに上がり、そのまま同点で投げ続けることがたびたびあった。当時は試合開始から3時間を過ぎるとその回までで終了だったため、試合に決着がつかないで引き分けで終わるケースが多く牛島は8月2日に早くもシーズン11引き分けという日本タイ記録を達成した。

MVP級
引き分けの日本記録を達成した牛島だったが登板過多は明らかだった。日本記録から数週間後には腰痛にヒジ痛が加わり登録抹消になった。だがチームは優勝争いの真っ只中にいた。牛島は痛みを押して一軍に復帰し、チームのために投げつづけた。そして中日は最終戦でようやく優勝を決めた。2位巨人の方が勝利数で2勝上回りながら、引き分けが中日の方が多く、これによって勝率で8厘上回っての優勝だった。紛れもなく牛島の日本記録があっての優勝だった。成績は一時登録を外れたにもかかわらず53試合に登板して、防御率1.40で7勝4敗17セーブ11引き分け。牛島は53試合に登板して4回しか負けなかった。

::
83年は右ひじ痛が回復せず救援失敗を繰り返して、シーズン中盤から先発に転向して10勝8敗7セーブで防御率4.50を記録、84年は再び抑えに回って3勝6敗29セーブで防御率2.74、85年は先発で6完投、抑えで8セーブと起用方法が定まらない中で好成績を残した。


世紀のトレード
86年オフにロッテで2年連続3度目の三冠王に輝いた落合がトレードされるとの噂が広がった。当初は巨人とのトレードが濃厚と言われたが、星野監督が「大出血覚悟で獲りに行く」と発言し、牛島、上川という主力二人に平沼、桑田を加えた1対4の大型トレードが成立した。だが牛島はこれを拒否し続けて引退も頭をよぎったという。

初タイトル
トレードの仕掛け人である星野新監督や牛島を入団させた元スカウト法元が説得に説得を重ねて、ようやく牛島の気持ちが決まったのはトレード発表から二日後のことだった。翌87年にはロッテに移籍した牛島は防御率1.29、26セーブポイントという素晴らしい成績で初の最優秀救援投手に輝いた。


故障
88年には3回目の最多セーブを達成し、翌89年は先発に回って9月9日の西武戦ではリーグ記録となる10四球を出しながら7回まではノーヒットに抑え込むなど8.2回を2安打に抑え込んで勝利投手になった。同年には12勝5敗という好成績を残したが、シーズン終盤から中日時代からの無理がたたって右肩痛に悩まされるようになり、翌90年はわずか3試合登板に留まった。

::
牛島は手術をしないことを選び、ボールどころか、歯も磨けないほどの状態からリハビリが始めた。小さな輪ゴムを使ったリハビリからのスタートした牛島は91年に復帰するが5回持たずに3点を失い降板。結局その1試合しか投げれなかった。

924日ぶりの・・
92年4月7日オリックス戦で先発した牛島は924日ぶりの勝利を5安打、10奪三振で1失点完投という最高の結果で飾った。そしてこの勝利はオリオンズからマリーンズになった新生ロッテの初勝利でもあった。泣かないつもりだったという牛島だが、お立ち台では「こんなに早く勝てるとは…」と涙が止まらなかった。

引退
奇跡の復活を遂げたかに見えた牛島だったが、同年には防御率2.67を記録するも登板はわずか9試合に留まり3勝3敗に終わった。結局ケガが癒えることはなく翌年に引退。通算53勝64敗126セーブ、歴代6位の38引き分け。

Aクラス
05年に3年連続最下位でしかも4番ウッズが抜けた横浜ベイスターズの監督に就任すると投手陣を大幅に整備して三浦、門倉、土肥の3人が二桁勝利を上げ、後にクワトロKと呼ばれる加藤、木塚、川村、クルーンという救援陣が揃って好成績を残すなど前年に4.47だったチーム防御率をリーグ2位の3.68にまで押し上げた。打撃陣もリーグ3位の601打点を上げて投手陣を援護。終盤にはヤクルトとの激しい3位争いを演じ、ラスト2ゲームとなった10月12日の広島戦に勝利して3年ぶりのAクラスが決定した。

退団
不調で9番に下がった村田に「9番の次の打順は何だ?」と聞いて、村田が「1番です」と答えると、「アホか、次は無いんじゃ」と叱咤激励して、その試合で村田が活躍したり、石井、佐伯の両ベテランを批判されながらも、本人の希望通りに全試合に出場させて、シーズンの終盤までベテラン勢に高いモチベーションを持たせるなど選手を乗せるのが上手だった。采配はバントを多用し、スタメンを固定するのが特徴。2年目に入ると選手補強を巡ってフロントと対立し、序盤から最下位を独走して同年限りで退団することになってしまった。


初記録
初登板
初勝利
初奪三振
初完投
初セーブ
記録達成日


80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93
最優秀救援 1回
オールスター 5回


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
80 中日 9 0 0 2 1 0 27.0 23 4 12 0 14 0 0 16 15 5.00
81 中日 51 0 0 2 7 0 104.1 84 11 59 0 82 3 0 39 32 2.77
82 中日 53 0 0 7 4 17 77.1 44 6 28 1 75 0 0 12 12 1.40
83 中日 37 0 0 10 8 7 88.0 104 10 30 1 69 0 0 55 44 4.50
84 中日 50 0 0 3 6 29 75.2 60 6 25 1 67 1 0 25 23 2.74
85 中日 38 6 1 6 8 8 116.1 103 17 60 4 82 0 0 47 45 3.48
86 中日 35 0 0 3 5 16 55.0 46 5 19 0 46 1 0 18 17 2.78
87 ロッテ 41 0 0 2 4 24 55.2 46 6 16 2 59 1 0 15 8 1.29
88 ロッテ 38 0 0 1 6 25 46.1 49 4 29 0 46 3 0 24 23 4.47
89 ロッテ 21 8 0 12 5 0 148.2 134 13 75 0 115 7 1 66 60 3.63
90 ロッテ 3 0 0 0 1 0 8.0 7 1 2 1 6 0 0 6 5 5.63
91 ロッテ 1 0 0 0 1 0 4.2 8 1 0 0 5 0 0 3 2 3.86
92 ロッテ 9 3 0 3 3 0 54.0 43 5 21 1 48 0 0 18 16 2.67
93 ロッテ 9 0 0 2 5 0 44.0 56 6 15 1 32 1 0 30 26 5.32
通算 14年 395 17 1 53 64 126 905.0 807 95 391 12 746 17 1 374 328 3.26


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
80 中日 9 7 0 2 0 1 0 4 2 0 0 0 0 0 0 4 0 0 .286
81 中日 52 14 0 4 0 0 0 4 1 0 0 1 0 2 0 7 0 0 .286
82 中日 53 12 0 2 1 0 0 3 1 0 0 1 0 0 0 3 0 2 .167
83 中日 37 19 0 1 0 0 0 1 1 0 0 5 0 2 0 9 0 1 .053
84 中日 50 10 2 5 0 0 1 8 3 0 0 3 1 0 0 5 0 0 .500
85 中日 38 33 1 6 1 0 0 7 2 0 0 1 0 0 0 10 0 1 .182
86 中日 35 9 0 3 0 0 0 3 0 0 0 1 0 0 0 3 0 0 .333
87 ロッテ 41 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
88 ロッテ 38 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
89 ロッテ 22 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
90 ロッテ 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
91 ロッテ 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
92 ロッテ 9 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
93 ロッテ 9 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 14年 397 104 3 23 2 1 1 30 10 0 0 12 1 4 0 41 0 5 .221


  日本シリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
82 中日 4 0 0 1 0 1 5.0 5 1 1 0 5 0 0 2 2 3.60


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
82 中日 4 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  オールスター投球成績
回数 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
通算 5回 8 0 0 0 1 4 13.1 11 0 4 0 11 1 0 5 2 1.35


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 5回 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000


  監督成績
チーム 順位 勝利 敗戦 分け 勝率 ゲーム差 本塁 被本 盗塁 犠打 打率 防御率 失策
05 横浜 3 69 70 7 .496 17.0 143 159 37 119 .265 3.68 66
06 横浜 6 58 84 4 .408 29.5 127 156 51 119 .257 4.25 83
通算 2年 127 154 7 .452 46.5 270 315 88 238 .261 3.97 149