ベイスターズ記録あと何?

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屋鋪 要



31
名前 やしき かなめ
生年月日 1959年6月11日
経歴 三田学園高−大洋(77年D6位)−横浜−巨人
入団年 77年にドラフト6位で入団
在籍年 78年−93年
背番号 78年−93年[31]
投打 右投げ両打ち
守備 外野手
MVP
78年のジュニアオールスターでスリーランを含む2安打、2盗塁でMVPに輝いた。翌79年には守備と俊足が買われて一軍に定着、主に守備固めや代走として82試合に出場した。80年には開幕戦で同点で迎えた9回裏に代走として起用されて二盗を成功させ、送球が逸れる間に三塁に進塁し、福嶋のヒットでサヨナラのホームを踏んだ。

レギュラーへ
80年に27安打、81年に53安打、82年に68安打と徐々に頭角を現した。打率は2割台中盤と今一つだったが球界随一とまで言われた広い守備範囲と、のちにプロ野球オールスター大運動会を席巻することになる快足で名を売った。82年の開幕第2戦では1点リードの9回表二死満塁でセンターへの大飛球をフェンスに激突しながら好捕して勝利に貢献。82年の秋からスイッチヒッターに転向し、翌83年にはついにレギュラーを獲得して107安打を放った。(打率.287)

ノーヒット・○○ラン
82年6月18日ヤクルト戦。2回表に基が四球で出塁するとワイルドピッチと内野ゴロで一死三塁となり、屋鋪のライトへの犠牲フライで1点を先制した。だがその後大洋はヤクルト先発の鈴木 正幸からヒットを一本も打てなかった。このままではノーヒット・ワンランで勝利という珍記録だったが、8回表に大洋先発の野村 収が自らセンター前ヒットを放って記録を食い止めた。なお野村 収は投げても1安打完封を達成し、両チーム合計2安打という最小安打試合を達成した。

2年連続3割
84年には初の3割となる打率.305を記録し、ゴールデングラブにも選出された。翌85年には3番に抜擢されて打率.304、15本塁打、78打点(リーグ2位の15勝利打点)という素晴らしい成績を残した。また広島の高橋 慶彦が73盗塁を記録したため惜しくも盗塁王には届かなかったがキャリアハイを大幅に更新する58盗塁を記録するなど最高の一年になった。なお同年には高木 加藤と共にスーパーカートリオを結成して三人で148盗塁を記録した。

打率急降下
86年は開幕から大振りを繰り返して打率が低迷。前年に放った15本塁打でホームランの魔力に取り憑かれた屋鋪はすっかり打撃を狂わして打率.237と大きく数字を落としてしまった。だが少ない出塁の中で48盗塁を成功させて初めての盗塁王に輝いた。

トレード直訴
87年には全試合に出場して打率.291で自己最多の153安打を放った。盗塁も8月29日から7試合連続盗塁をするなど48回の成功に対して失敗8という素晴らしい成功率で2年連続盗塁王に輝き、初のオールスターにも出場した。なお同年には巨人の王監督がいきつけの中華料理店に通い、王監督が来店すると頭を下げて「トレードで獲得して下さい」と頼み込み、同年のオフには槙原とのトレード話が紙面を賑わしたが、古葉監督が「屋鋪は出せない」と断り移籍はならなかった。

3年連続盗塁王
88年には開幕直後にパチョレックと衝突するなどのアクシデントもあってか、前半戦から低迷し一時は1割台にまで打率を落とした。夏場から多少調子を取り戻し、33盗塁で3年連続の盗塁王、5年連続でゴールデングラブにも輝いたが打率は.236に終わった。

故障
翌89年には開幕から打撃不振に苦しんでスタメンの座を失ってしまうと、試合に出場するためにサードに挑戦したが、慣れない動きの影響か右肩を痛めて同年は68試合出場で打率.206に終わった。右肩痛はなかなか回復せず1年間以上試合に出場できない苦しい日々が続いた。数々の病院を尋ねたが肩痛は回復せず失望に暮れたが、先輩の古賀 正明に紹介された先生から火鉢で熱した手で患部を温める治療を受けた所、2日間で痛みが引き復活、91年は夏場に調子を上げて83試合出場で打率.274を記録、翌92年には4月29日の広島戦で3回表に999安打目を放つと、5回表に勝ち越しタイムリーで1000安打を記録、続く打席ではツーベースを放って猛打賞でお立ち台に上がるなど115試合に出場して打率.277とスタメンに返り咲いた。

解雇
チーム名が横浜ベイスターズとなった93年には61試合出場で打率.245に留まると、オフにはFAの話し合いという名目で呼び出されたホテルで解雇通告を受けた。屋鋪は「悔しい。ゴミ箱にゴミをポイと捨てるようなものだ。球団は僕のことなんか功労者と思っていないんだよ。引退試合もない。功労金もない。ただのゴミ扱いだよ」と肩を震わせた。また屋敷と共に横浜大洋の象徴でもあった高木 豊を含む主力選手6人が同時に解雇となり大きな話題になった。

巨人入団
94年は長嶋監督に誘われて巨人に入団。伝統的にヒゲを禁止してきた巨人への入団という事もあって、トレードマークともなっていた口ひげを剃るかが注目されたが、長嶋監督から「剃るなよ」と口ひげ容認を伝えられて、「どう思う?ウチの選手はスカートをはいて野球をやっているようなヤツばかりだろ?」と自身の現役時代のような野性的なプレースタイルを期待された。

サヨナラ屋鋪
古巣との初対決となった4月12日の横浜戦で9回表に代走で出場するとそのままセンターに守備固めで入ったが、8対8の同点で迎えた9回裏にブラッグスが内野安打で出塁すると、続くローズが放った飛球に対して屋鋪は両手を広げ捕球体勢に入ったが、ハマスタに吹いた神風にあおられた打球は大きくカーブを描き、バンザイをする屋鋪の後方にポトリと落ちた。ブラッグスがホームに還ってサヨナラ。記録はローズのサヨナラツーベースだが、横浜ファンには屋鋪のサヨナラエラーとして記憶されている。

引退
移籍早々にしてバンザイエラーでスポーツ紙の一面を飾ってしまった屋鋪だったが、その晩に長嶋監督から「君に取れなければ誰にも取れない」という電話があるなど、その守備力に対する信頼は揺るがず、ほぼ全て守備固めで87試合に出場、西武との日本シリーズ第2戦では1対0で迎えた9回表に日本シリーズ初出場、先頭打者の打球判断を誤って二塁打にしてしまったが、二死二塁から鈴木健が放ったセンター前へのライナーをダイビングキャッチで好捕して勝利に貢献した。翌95年も67試合に出場したが同年限りで現役を引いた。巨人のコーチ時代には98年のキャンプで海岸に打ち上げられていたクジラを助けるというホエールズ魂を見せた?

蒸気機関車
小学校時代には蒸気機関車に魅せられて父親とともに北海道まで撮影旅行に行くほどだったが、中学からは寮生活に入ったこともあって野球一色の生活となった。それから30年間以上が経過した06年の4月に神田の交通博物館で、亡き父親と撮影した蒸気機関車のC57 135に再開した時にかつての思いがよみがえり日本中の保存蒸気機関車をすべて撮影するという壮大なプランをスタート、野球教室などで全国を回る際に前日入りして分単位のスケジュールで撮影するなど努力を重ねて、13年6月に撮影可能な601輌全ての撮影を終えた。


初記録
初出場 78年4月5日巨人戦:代走で
初安打 79年4月10日広島戦三輪から
初本塁打 81年9月27日北別府から
初打点
初盗塁 79年5月9日阪神戦
記録達成日
300盗塁 1991年9月28日巨人戦
1000安打 1992年4月29日広島戦:佐々岡から





78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95
盗塁王 3回
ゴールデングラブ 5回
オールスター 1回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
78 大洋 9 3 1 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 0 0 2 0 0 .000
79 大洋 82 36 12 9 2 0 0 11 1 5 2 1 1 3 0 15 1 0 .250
80 大洋 105 110 26 27 1 1 0 30 5 14 7 0 0 10 1 24 1 2 .245
81 大洋 105 208 22 53 6 1 1 64 12 16 8 3 2 14 2 50 0 4 .255
82 大洋 95 265 33 68 9 3 6 101 21 17 3 8 1 16 1 64 1 3 .257
83 大洋 119 373 50 107 16 1 5 140 27 16 11 11 1 25 1 67 8 7 .287
84 大洋 124 397 40 121 24 5 4 167 29 11 4 4 2 40 0 90 7 3 .305
85 大洋 118 444 65 135 15 5 15 205 78 58 13 13 5 46 0 74 8 6 .304
86 大洋 127 460 54 109 20 1 8 155 34 48 16 16 0 27 2 84 10 1 .237
87 大洋 130 526 77 153 18 5 9 208 57 48 8 8 4 25 0 86 6 3 .291
88 大洋 121 368 36 87 7 1 3 105 30 33 9 9 3 31 0 55 6 1 .236
89 大洋 68 155 22 32 5 1 2 45 10 11 3 3 0 13 1 23 4 2 .206
90 大洋 12 42 9 13 0 1 0 15 3 3 0 0 0 5 0 9 0 0 .310
91 大洋 83 277 48 76 11 3 1 96 18 23 7 7 2 35 0 53 2 2 .274
92 大洋 115 365 41 101 18 2 2 129 31 8 8 8 2 36 0 62 2 4 .277
93 横浜 61 184 21 45 7 4 1 63 13 6 3 3 1 11 0 35 6 1 .245
94 巨人 87 29 10 4 1 0 0 5 2 4 2 2 1 4 0 5 0 0 .138
95 巨人 67 21 8 6 1 0 1 10 3 6 1 1 0 2 0 6 0 0 .286
球団 16年 1474 4213 557 1136 159 34 57 1534 370 317 103 43 24 337 8 793 62 39 .270
通算 18年 1628 4263 575 1146 161 34 58 1549 375 327 106 46 25 343 8 804 62 39 .269


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
94 巨人 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 1回 3 6 1 2 0 1 0 4 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .333